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「な……なんなのだ?清麿……さっきから人の顔をジロジロと……」

珍しく、「珍しく」執務をこなしているガッシュの顔を、先程から恋人がじっと見つめて来る。
相手は既に業務を終らせていて、肩身が狭いことこの上ないが、それをどうでもいいと思えるくらい、その瞳でコチラを見つめてくるのである。
これには流石のガッシュも参ってしまっていて。
恐る恐る聞いてみると、少しばかり不思議そうな顔をした清麿の純粋な答えが返った。
「いや、お前あんまり角出さないよなぁ…と思って」
ヌ、と声を上げて目線を正確に辿ってみれば、その目は確かに自分の頭に向けられていた。……ホッとしたような寂しいような。
ガッシュは普通の人間と変わらない頭をボリボリとかいて、ペンを再び手に持った。
「ヌゥ……まあ、その。気分の問題かのう。出していても問題は無いし、引っ込めていても何も弊害は無いのでのう」
要するに、自分の生きてきた時間を表わす年輪のような役割なのだ。
自分が「王」と示す以外では、出していても何にも得な事は無いので、引っ込めていた方が楽なのであった。
「ふーん…………なあ、ガッシュ、ちょっとツノ出してくれよ」
「ウヌゥ?構わぬが…」
愛しくて堪らない恋人の為に、一つ返事で隠していた物を出現させる。
木が急激な成長を遂げるように、角は元の姿へと戻り、ガッシュの頭を飾った。
幾重にも分かれて光るその角は、さながら龍の角だ。コレだけで威厳というモノが生まれるという事に、ガッシュは常々不満を抱いていた。……何故なら、この角を出した時にしか皆が「王様」と呼んでくれないからだ。
(……私はそんなに威厳がないのかの)
自分でもあるとは思わないが、こうも態度が違うと悲しくなってくる。
「おお……」
そんなガッシュの気持ちにも気付かず、清麿は好奇心に目を輝かせて、近寄ってきた。
(ヌ、ヌォ!?なんと……)
その顔は子供のように純粋な、なんとも可愛らしい表情で。
思わずにやけそうになる顔を必死に叱咤して、なんとか平静を装ったまま執務を続けた。ここでへたれると、台無しだ。
「へぇ……近くで見た事無かったけど、けっこう滑らかな角なんだな」
そんなガッシュに気付かない清麿は、純粋に目を輝かせながらまじまじと角を観察した。己との身長差が開き始めた今となっては、ガッシュが座っている時にしか頭部は見れないのである。
その事に何となく嬉しさを感じて、ガッシュはまた顔を引き締めた。
(だらしない顔をすると、すぐ清麿は怒るからのう……ここでだらけたら折角の清麿とのツーショットが台無しになってしまうのだ)
清麿の顔をじっと見ていたいのは山々だが、そうするとまた怒られるので、仕方なくガッシュはペンを走らせた。
しかし、ツノを見せるだけでこうも態度が違うとは。
こうなったら、常時威厳を現しておくのも悪くは無い。ガッシュは少しは王様らしくなっている自分を思い浮かべて、口尻を吊り上げた。
「良く見た事なんてなかったからな……なあ、触っても痛かったりする事って無いか?」
「触ってよいぞ。他の動物と変わりないのだ。普通に触っても何も感じぬぞ」
遠まわしな「触っていいか?」という問いに、ガッシュは許可してやる。
痛覚が無い云々は兎も角、清麿が触ってくれるのはうれしかった。
というか、清麿が近付いてくれたらそれだけで嬉しい。
(コレが夜で寝台の上だったら……ウヌゥ。最近ご無沙汰だしのう)
「……わ、なんか冷たいな。金属みたいだ……。やっぱり魔界の者だから色々と違うのかな…」
ぺたぺたと遠慮なく触っては、清麿は小難しそうなうめきを漏らす。どうやら思考はすっかり探求者になってしまったようで。
これでは甘い雰囲気など望める筈も無いか、とガッシュは眉を情けなく顰めた。
「らぶらぶは果てしなく遠いのう…」
涙をだぱだぱと流しながらの執務は、なんとも切ないものだ。しかし清麿はこっちの気持ちなんぞ汲んじゃくれないワケで。
好奇心に可愛らしく目を煌めかせたまま、角を触っていた。
「鋼鉄……黄金……うーん、何に近いだろうか。でも人体からの、や、待てよ?魔物なんだし……」
その滑らかな手が、角を優しく擦る。
(……)
……何ともこそばゆい感触が駆け抜けたのは、気のせいだろうか。
己が内の感覚に少しばかり疑問を感じ、ガッシュは内心で首を傾げた。
「皮膚でも無いし……うーん。」
やはり乱暴に触るといけないと思っているのか、清麿のその手つきはとても優しくて。
というか、優しすぎて……。
(な……なんか変な気分なのだ…)
どうも、身体が変に疼く。
これはくすぐったいと言うよりかは……。
(こう……この……なんと言うか…下の方が……)
「なあガッシュ、痛覚とかは無いんだよな」
「ウヌ……」
しかし何故
清麿に角を優しく撫でられる度に。
(こ……こうウズウズするのだぁあああ!?)
「やっぱまだまだ不思議だよな……魔界って」
物珍しげに擦る清麿。
その妙なる感覚を、既にガッシュはある感覚だと確信していた。

(な……何故……何故、たかがツノに……快感を感じる神経が通っておるのだぁあああ)

これでは蛇の生殺しも当然である。
まさかそんな物があるなんて知らなかった。大体飾りのはずの角に、そんな神経があること自体おかしい。
これならば痛覚がある方がまだマシだった。
しかも、触れているのは誰でも無い、清麿なワケで……。
(うぬぉおおお……何故……何故こういう時にばかり素直で可愛らしいのだ清麿~~!!)
楽しそうに調べるその無邪気な笑顔が、今は憎らしい。
「なあガッシュ、お前のツノって結構気持ちいい感触してんだな。象牙みたい」
そんなガッシュを嘲笑うかのように、笑顔でツノを触りまくる清麿。
ああ、もう、我慢出来ない。
パンクしてしまう。
今すぐにでも清麿を抱いて、愛したい。
でも我慢しないと清麿は怒るだろうし、口も聞いてくれなくなるだろうし。
大体今は昼間だから、周りには人がいるし。
(ヌォオオオ!!誰かっ……誰かこの時間を早回ししてくれなのだぁああああ)
「石みたいだから大理石でもいいかな。ツルツルして、ツノじゃないみたいだ」
楽しそうな声がまた、欲を煽る。


(ツノの……ツノの大馬鹿者ーーーーッ!!)


ガッシュは心の中で、全世界に響き渡るような叫びを上げたのだった。





それ以来、ガッシュは城の者に「王様」と呼ばれなくてもいいと、決心したそうな。








(2006/12/12)
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鋼の檻。それは稀有な洞窟。
幾重にも入口に張られたのは、結界である注連縄。
その奥には、何もない、暗闇。
ずっと、そうだと思っていた。

「お前は……誰だ」
感情など微塵も見られないその声に、清麿はビクリと肩を震わせた。
「お前こそ…誰なんだ?」
問いに同じ問いで返すと、暗がりに潜むその影は少しばかり身構えた。怒っているのだろうか。清麿はそう思い、背筋に嫌な汗が伝うのを感じた。
しかし、この封じられた洞窟にいる者がなんなのか。それを確かめない限り、清麿は帰れそうも無かった。
ただ「闇」だけだと教えられてきたその洞窟。そこに自称知的好奇心で侵入し、見つけた、暗がりの声と気配。
学者を夢見る少年には、その好奇心を抑えられそうに無かった。
「………」
声は暫し聞こえなくなったが、長い間を置かず、また無機質な声は届く。
「俺は…『忌まれたもの』。全てに厭われ、見離されたものだ」
「『忌まれた』…もの?」
声は無機質。
けれども、その奥に秘められた感情は、悲しみを物語っているかのように思えた。
そう。声の主である影自身が気付かない、気持ちが。
「……お前はこの洞窟には『闇』しかないと教えられていただろう。その通りだ。……ここには、闇しか無い。誰も好まない。そんな闇しか存在しない」
声は同じような言葉を繰り返し、そのまま黙り込んだ。
「……そんなことない。」
「…?」
清麿は、何故か、そんな言葉に黙っていられなくて。
「ココには、今、俺がいる。アンタだっているじゃないか。俺達は闇じゃない」
「……俺は人間でも無い。闇にもなれず……人間にも成れない……疎まれた存在だ」
決して己を肯定しようとしない。いや、肯定したくないという思いが込められたその言葉に、清麿はまた「そんなことはない」と吐き捨てていた。
同情の念か。それとも、憐憫の為か。
悲しみを内包したその影に、肯定するような事など出来なかった。
そんな清麿の言葉に、影は少しだけ笑い声を漏らすと、すっと片手を上げるような仕草を見せた。
闇が、晴れる。
「……!!」
天から射した光に現された姿に、清麿は瞠目した。

その姿は、人。
確かに人間の形を成していた。
唯一つ。

その掲げられた手が……


龍の腕のように
鱗を纏い、化物の手のようになってしまっている…以外は。



「そ…れは……」
驚きを隠せない清麿に、影…いや、白金の髪を逆立てた、清麿と同じくらいの少年は、無表情のまま答えた。
「この腕は、生まれつきだ。この腕で、この腕の能力のせいで、俺はここへ封じられた。ずっと…ずっと昔に」
「……!」
その言葉に、清麿は言葉を失った。
(だから…疎まれ、厭われて、ここへ封じられたってのか……!?)
先天性の、どうにも出来ないその「枷」のせいで。何年も、何十年も、こんな暗い闇に。
狂う暇も無い闇の檻で、この少年は…。
「だから、俺はここにいる。闇と同化できるまで……同化できれば、何も……苦しむことは無い」
自らこの檻を選んだわけでは無いのに。
それなのに、反抗せず、ただ、闇と同化できる人待ち続ける。
彼に何があったのかなど、清麿には知る術も無い。けれども、彼が一方的に押さえつけられたのは、言うまでも無い事実だろう。
だから、彼には、諦観の心しか無い。
感情が、なくなってしまった。
(そんなの……悲しすぎるじゃねぇか…)
誰にも愛されること無く、朽ちて行く少年。
残念な事に、清麿はそんな非なる道へ進む者を見送ることは出来なかった。
「だから、放っておいてくれ。俺は……」
「嫌だね!!」
「!?」
気が付けば、何の恐怖もなしに彼に近付き、その掲げられた腕を掴んでいた。
「……お前が全てに疎まれてる?嫌われてる?アホか。決め付けもいい加減にしろ」
「放せっ…」
少し背の高い少年を見る清麿の瞳は、彼の瞳を射抜かんばかりの強い意志を秘めて。
少年は思わず動きを止めた。
「何で誰もが嫌ってるって解るんだよ。だったら俺がどう思ってるかってのも解るのか?」
訊けば、すぐに気を取り戻したのか、答えが帰ってきた。
「決まっている。怒り、俺を忌々しいと…」
「はずれ」
ホントに卑屈だな、と睨みつけて、清麿は少しの間を置いて……顔を緩めた。
「……」
その顔は、柔らかな微笑。いや、苦笑も混ざっているだろうか。だがしかし、決して疎むような、厭うようなものは無く。
ただ純粋な行為だけで作られた、微笑だった。
「俺は、お前を嫌ってなんかいない」
「嘘だ」
「嘘じゃない。」
「恐いだろう」
「なにが?」
「闇を呼び戻すぞ」
「どうぞ?」
「俺は……」
「人間だろ?」
その言葉に、少年は言葉を詰まらせた。
「………」
「人間だろ。お前も」
微笑のままもう一度言えば、何とも言えない表情で相手は呟いた。
「……何故、俺を否定する……」
それを聞いて、清麿は大きな溜息を吐いた。
「あーーー……ったく…ホントに捻くれまくってんな……もう、まどろっこしい!!」
顔を思い切り顰め、次に起した行動は……少年を洞窟の出口まで、引っ張って行く事だった。
「お、おい!俺は……」
「喧しいっ!!あんなジメッとした所にいるからお前はそんな風に考えもジメジメしてるんだよっ!外に出ろ!」
「だが俺は行くあても、出る許しも…」
「俺が許す、俺が匿ってやる!」
清麿の簡単で、しかし強い言葉。
何度放そうとしても帰ってくるその腕。
そんな相手に、少年は驚き、そして、いつのまにか目を離せなくなっていた。
「……お前は……本当に…俺を、嫌っていないのか」
言えば、
「くどいっ!」
至極端的で、しかし否定など微塵も無い答えが帰ってくる。
「……お前…名は……?」
――やっと、そういってくれた。
清麿はぐいぐいと引っ張る腕を離さず、前を向いて、口を開いた。
「清麿だ」
少年は、その名前を聞いて、口の中で知らずに反芻していた。
「お前は」
清麿が、問う。
少年は相手の名前の余韻を噛締めて、何百年ぶりの己の名を、口にした。
「……デュフォー」


その名を呟き、見据えた先は、清麿と檻の外の明るい世界。
清麿は陽光を受けて少年を振り向いた。
その顔には、例えようも無い、優しい笑顔。


「デュフォー、か。いい名だな」


感情が消えた心に灯った、何か。
それが確かに、今、芽吹いた気がした。
彼にも、清麿にも。



日の光は、太陽は、そこに。




目を細めたデュフォーを見て、清麿は思い切り笑ったのだった。









(2006/12/23)


「何で…お前は俺を殺さないんだ?」


中天に昇る月光が、陽光のように森を照らす。しかしその光は優しく、決して影と光を分けるような物ではない。
その光を浴びながら、太い枝に獣座りをして異形は問いかけた。
見下ろすのは、樹の幹に背をもたれさせた男。異形よりも一回り体格が良く、法衣を着ている。しかしその者は剃髪しておらず、稀有な黄金の髪をなびかせていた。
破戒僧だな、と異形は思い、また満月を見る。
しかし彼も異形というだけあり、やはり普通の人間とは違っていた。
烏羽玉のような美しい髪、少年らしいあどけない顔立ち。頼りない体躯。しかし彼の耳は人間のソレではなく、まるで山猫で。そして、臀部からは長い尾も生えていた。
頬には文様が浮かぶその姿は、確かに人間と一線を画している。
そんな彼を見て、男はさも当たり前のように返した。
「決まっておろう。清麿は普通の妖怪なのだ。祓う必要はどこにもなかろう?」
そういって、傍らにある錫杖を取ろうともしない。そんな相手一瞥し溜息を吐き、清麿はまた満月を見上げた。
「妖怪にいいも悪いもないだろ。お前らにとっては」
耳を機嫌悪そうにぴくりと動かして、嫌そうな声でワザと言う。そんな態度なのに、相手は依然としてその姿勢を変えようとはしなかった。そのまま顔を上げて、清麿を見つめてくる。
「まあ、そうだのう。けれども私は、そうは思わぬ。だから、お主とはこんな仲でいたいと思っているだけなのだ」
ちらりと目を動かしたその先にある、美しい瞳。輝く髪。
掛け値なしに微笑むその顔に、何故か尻尾が嬉しそうにぱたりと揺れた。
けれど、認めたくなくて。
「ふん……そうやって、俺に寝首をかかれなきゃいいがな」
不機嫌な感情を必死に引き出して、清麿はそっぽを向いた。
「お主にかかれるなら、それも本望なのだ」
苦笑する相手が、憎らしい。
「……」
けれど、決して、いつものように殺したいとも思わなければ、喰らいたいとも思わない。
ただそこにいるだけで、何かが満たされていた。
でも、それが殊更憎らしくて。
(なんで、この俺が人間なんかに……)

自分は、何百年もこの森と共に生きてきた妖怪。人間から森を守り、妖怪を守り、人間を獲物として喰らってきた。
言わば、人間は敵であり……「えもの」。
なのに。
なのに自分は、今……。

「清麿」
呼ばれて、つい振り返ってしまう。
尾が、揺れてしまう。
逸早く答えるように、心臓が早くなってしまう。
こんなこと、今まで、なかった。
「……なんだよ」
月光に照らされる顔を見られまいと、相手から顔を背ける。耳はばれやしまいかと、小さく震えていた。
そんな姿を見て相手は微苦笑して、続けた。
「こちらに来て……名を、呼んで欲しいのだ」
「なんで」
「私は清麿にこそ、私の名を呼んで、近付いて、抱き締めさせて欲しいのだ」
だから、来て欲しいのだ。
そんな風にねだる男。
姿は立派なのに、言う事はまるで幼児で。
清麿は笑いたいのか顔を歪めたいのか、もぞもぞと口と眉を動かしたが……諦めて、大きく溜息を吐いた。
「清麿」
呼ぶ、寂を混じらせた美しい声。
これも術の一つかと勝手に決め付けて、清麿は流麗な仕草で地面へ降り立った。
そして、相手の下へ近付いてやる。
体を跨いで、顔を近づけて、それから、少しだけ無意識に顔を赤らめて…口を開いた。
「ガッシュ」
知らずに胸元を掴んだ華奢な手が、震える。
ガッシュと呼ばれた男は、美しい微笑を披露して、清麿を丸ごと抱きとめた。
「清麿……私は、妖怪だろうと人間だろうと関係ない。お主だからこそ……こうして触れていたいと思うのだ」
耳元で囁かれて、唇が落ちるのは頬。
優しいその感触に酔って、清麿は陶然と目を細めた。
「……ガッシュ」
ただ、呼ぶ事しか出来なくて。
「やはり、私は清麿に名を呼ばれるのが一番好きだのう」

髪に優しく触れるその手も、大好きで。
でも、認めたくなくて。
認められなくて。
認めたら、森を裏切ってしまいそうで。
だから、己のこの、不可解な気持ちを
認めることは、出来なくて。

「……今度来たら、今度こそ負かして、喰らってやる……」
炎の如き赤い瞳が、ギッとガッシュを見据える。
――けれども相手には通じなくて。
「それもいいが、二度と会えなくなるのは嫌だのう。……今度も負けぬようにしよう」
微笑を浮かべる人間と、どこか拗ねたような苦い顔をする妖怪の顔が互いに近付き、どちらからともつかず、合わさる。
長いときを望むかのようなその二人の口付けは、決して、憎みあう者同士の交わりではなかった。




けれども、
決して、憎まずにいることはできなかった。






もし、そう思う事をやめてしまえば
きっと
自分は森の主では、なくなってしまうから。








(2006/12/27)


最近、よく通う場所がある。



「のり弁くださーいなのだ」
扉もなく、客との距離をとるのはカウンターだけという、典型的な街の弁当屋。そのカウンターに肘を乗せながら、ガッシュはにこにこと笑い注文した。
声に呼ばれ、奥から人が出てくる。
調理場が騒がしい。たぶん、今からの時間に備えて弁当を補充しているのだろう。肉の焼ける香ばしくいい匂いに鼻を動かしながら、それよりも嬉しいその人物の登場を待った。
「いらっしゃ…って、また来たのかあんた」
出てきたのは、頭を水色のバンダナで隠して、冬だと言うのに腕をまくった嫌に生活感に満ちた少年。
店のロゴの入ったオレンジのエプロンをつけて、ガッシュを物珍しげに見ている。
「ここが一番安いからのう」
笑顔のままでそう言えば、少年ははにかんだ笑みを返した。店が褒められたのが嬉しかったらしい。
いつもの営業スマイルでは無いその笑みに満足しながら、ガッシュはもう一度注文を繰り返した。
「またのり弁か?……そりゃ、うちの奴でもいっちばん安いけどさ…他に頼もうとかおもわねぇの?」
奥に注文を伝え終り、ガッシュに問う少年。
ガッシュは困ったような、自嘲するようなだらしの無い顔になると、がっくりと肩を落とした。
「いや……その、ぼらんてあと言うもので、お金の無い人を助けてたら……」
正直に言うと、少年は見るからにいやそうな顔をして、口をあんぐりと開けていた。
「お前……バカだろ!?今時苦学生がすることか!?」
「う…ウヌゥ……」
肩を竦めるガッシュを見て、少年は客に対する態度ではない、大きな溜息を披露した。
「……なんつーか…お人好しにも程があるぞ、お前……」
乱暴な口調だが、これはガッシュにしか使わない。都合よく言ってしまえば、少年は只今の時点で、自分にしかこの口調で喋っていないのだ。
人気の有る看板息子の素の姿を、自分一人だけが知っている。
ガッシュにとっては、財布が寒い悲しみを軽く凌駕してしまう喜びだった。
いつの間にか緩んでいた頬を発見してしまったのか、少年は眉を顰めるとレジを打つ。
「まあ、何だその…アンタ」
「ガッシュなのだ」
「……ガッシュ」
通いつめて早数十回。ようやく、名前を言うタイミングを掴んだ。苦もなく口から滑った言葉に心がガッツポーズをする。少年もその流れに押されたのか、少しだけ遠慮がちな声でガッシュの名を呼んだ。
(やっ……やったのだぁあああ!!)
「で…あのな、ガッシュ、もうちょっと人っつーもんを学べよ。あんた近くの大学の交換留学生なんだろ?そんな奴らのせいで日本が悪く言われちゃたまらないからな」
「ウヌ?日本は良い国ではないか。」
この分だと、相手の名前も訊けるだろうか。
流れは、思ったより速くて自分に傾いている。思った通りに事を運んでいた。
ガッシュは内心緊張で震えながら、何事も無く言葉を紡いだ。
「この国は綺麗だし、食べ物も美味しいのだ!それに……えー……お主の名は?」
ワザと早口で、名を問う。
すると。
「……清麿」
返って来た。
ガッシュは初めて聞いた相手の名前に深く感動しながら、それを覚られまいと話を続けた。
勿論、ちょっとしたアピールも忘れてはいない。
「それにのう、清麿。私は……この国で、清麿に逢えたのだから」
だから、日本は良い国だ。
何の疑いもなく言い切ってしまえば、清麿の顔に浮かぶのは驚いた表情。
暫し厨房の音が続いて……清麿の顔は、柔らかな苦笑に変わった。
「お前っ……そりゃ、女に言う台詞だっつーの!」
口に拳を当てて笑う様は、とても愛らしくて。愛しくて。
何度目か解らない甘くて暖かい気持ちを、ガッシュは感じていた。

初めて会った時から、心惹かれていて。
沢山に人に笑顔を振り撒き、辛さを見せず、あかぎれを起したり、時には絆創膏の貼ってある手で店を一生懸命手伝っている姿。
その目が、どんな弁当を買おうか迷っている自分に向いて、解り易いように、英語で説明してくれた、その時の笑顔と優しさ。
それで、もっと好きになって。

いまじゃ、
愛おしくて堪らない。

(話せるだけで、幸せなのだ。今だってこんなに近くなれているのが、不思議なくらいだのう)
カウンターが邪魔するその距離は、果てしなく遠い物に思える。けれども、心はどんどん近付いていて。清麿が笑うたび、壁が無くなっていくのが解ってきて。
なんて、幸せなことだろうと思う。
「……ちょっと待ってろよ」
「ウ、ウヌ?」
ガッシュが幸せに浸っている途中で笑いが醒めたのか、清麿はガッシュを強引に現実へ引き戻すと、厨房へと入っていった。
あまりに突然の事で、ガッシュは暫し言葉もなくその行動を見守るしかない。やがて、厨房から何か話し声が聞こえる。
多分店長である母親と話しているのだろうが、残念ながらその会話を聞き取る事は出来なかった。
そして、足音がこちらへ向かってくる。
「清麿」
少しだけ緊張して呼んでみると、相手は少しだけ笑った。
「ホラ、のり弁。200円な」
質素な弁当を温かみの有る色のビニールに丁寧に入れて、清麿はこちらへ差し出した。
慌ててお金を払い、大いに心の中でガッカリする。
これで、楽しい時間も終わりか。
そう思うと、とても切なかった。
「はい、これで200円なのだ」
十円混じりの代金を清麿に渡し、ガッシュは情けない笑顔で弁当を受け取った。
清麿はレジへ代金を入れ、コチラへ向き直る。

多分、言うのは「ありがとうござました」だ。

解っていても、自分はただの客に過ぎないのだと言われているようで、悲しくなる。
やはり、望んだ展開には進まないのだろうか。
自分の財布のように質素なのり弁を食べる己を思い浮かべて、何だか負け犬になった気がした。
しかし、
清麿の言葉は、予想を裏切った。

「……その……」
「……ウヌゥ?」
ハッキリしない、少しだけ口を尖らせた清麿の声。いつもと違う展開に、ガッシュは思わず驚いて清麿の顔を見た。
その顔は……少しだけ、頬を赤らめて、何か気恥ずかしそうな、可愛らしい表情で。
「……あ、あのな!言っておくが、一度だけだからな!」
「?」
何が何だか解らない。
可愛らしい顔は大いに結構だが、なにが一度のみなのか、ガッシュには理解できなかった。思わず頭上に疑問符を浮かべたような顔になると、清麿は顔を赤くしたまま、そっぽを向いた。
どうやら、恥しくてたまらないらしい。
「その……つまりだな!お前が…あんまり哀れなんで……その……オマケしてやった!ありがたく喰えよ!!いーか、一回だけだからな、二度あると思うなよ!今度はきちんと金の管理して違うの買いやがれッ!」
そういうと、そっぽを向いたまま、口を閉じてしまった。

(ああ、やっぱり、私は幸せ者だのう)
ガッシュは最高の笑顔で微笑んで、清麿に今自分が言葉で表わせる、最高の気持ちをこめたお礼を言った。
「清麿……ありがとうなのだ!私は、清麿の事が大好きだぞ!」
「だから女に言えっての!ほら、もうすぐ客の波が来んだよ!!さっさと帰れ!」
照れていても、きちんと気持ちを受け取ってくれているのが解る。
ガッシュは嬉しくて、少しだけ膨らんだその弁当を抱えた。
「じゃあ、また、明日なのだ!」
言うと、
「…………ああ」
拗ねたような、声。
ガッシュはその言葉に頷いて、元気に道を走り出したのだった。



因みに、のり弁にはから揚げが三個おまけされていましたとさ。









(2007/01/04)



恋人、というものは、一体どういうものなのだろうか。

床に体を預けて、バルカンを天井へ掲げながら、ガッシュはふと考えた。
「私と清麿はパートナーなのだ」
こいびと、とぱーとなーは、文字も発音も違うことからして、異なる物だとは思う。けれども二つは、ガッシュにはとても似ているものに思えた。
恋人、と呼ばれている二人は、いつも一緒だ。手を繋いだり、笑い合ったり、時に抱き合ったりもする。
二人でいる事が楽しい。
そういっているようだった。
コレが恋人の、ガッシュにとっての定義である。
「しかし、そんな事は私達もしておるのだ」
恋人、という呼び方でなくても、自分達だってそれくらいの事は日常茶飯事だった。
抱きつくし、笑い合うし、いつも一緒だし、ガッシュがねだれば、清麿はなんだかんだと言っても手を繋いでくれる。相違はあまり見られなかった。
しかし、とガッシュはバルカンを抱いて横に寝そべる。
「清麿は恋人では無い、というのう」
一度この質問を投げて、怒り混じりの返答をされた。顔を真っ赤にして怒る清麿に何故そんなに怒るのだと言っても、相手は兎に角違うの一点通しだった。
理解力はいいと自覚しているが、それだけではどうして違うのかも理解出来ない。
しかし、清麿は決定的な相違を話してはくれず。
結局ガッシュはその違いを、今日もこうしてもんもんと悩んでいるしかなかった。
「何か違うのかのう……?」
全く解らない。
いままで付けっぱなしにしていたテレビに目を向けて、ガッシュは面白く無さそうに目を細めた。
何故、パートナーと恋人は違うのか。
(同じで良いではないか。私はパートナーが嫌、というわけでは無いが、恋人という称号も使ってみたいのだ)
パートナー、恋人、どちらも仲睦まじい二人に送られる、喜ばしい称号。
喜ばしいなら、二つあったらこれ以上のものになるのではないか。
ならば、もう片方も欲しい。
清麿と喜ぶことが出来るなら、もう一つの称号も貰いたかった。
「しかし……難しそうだのう……。相違、というのを見つけられれば、もう一つも容易く手に入りそうだと言うのに…」
恋人と殆ど同じことを、ガッシュと清麿は行っている(それはパートナーと酷似する行為だけだが)。ならば、後は「違う部分」を見つけられれば、多分容易く……。
「ウヌ?」
そう思っている時、テレビからなにやら楽しそうな女の声が聞こえた。
パッと顔を上げてみてみると、夜の町中で抱き合っている若い男女。
恋人だと、ピンと来た。
思わず身を乗り出して、何か情報が無いかと食い入るように見る。
そんなガッシュの視線も構わずに、テレビの中の二人は抱きあったまま見つめあい、顔を近づけ、そして……
「! そうか、コレだったのだな!!」
テレビで披露されたその「相違」を見て、ガッシュはようやく解決と手を打った。
この行為は、まだやった事が無かった、というか、知らなかった。こんな簡単なことをやるだけで称号が手に入るとは、知らなかった。
これでようやく、清麿と「恋人」になれる、と、ガッシュはにんまりと笑んだ。

「ただいまー」

玄関の方から、気だるそうな声が聞こえる。
一番会いたかった人だ。ガッシュは跳ねる様に起き上がり、バルカンの手(?)を取って玄関へと駆け出した。
「き~よ~ま~ろ~!!」
声が嬉しそうでならない。何でも清麿と一緒、と言うのがガッシュには嬉しくてたまらないようだ。どんなことでも、清麿と必ず一緒に行いたかったのである。
ばたん、と玄関で跳ぶ音がする。
そして、清麿の面倒臭そうな声が聞こえた。
「ひっつくな」
しかし、ガッシュは慣れっこなのか、それとも無視しているのか離れないようで。ガッシュは、そんな不機嫌な声の清麿に笑いながらその口に……




「何しやがんだてめぇええぇええ!!」

「ヌォオオォオ!!?」






どうやら、恋人という称号をもらうには、まだ何か相違があるらしい。



その「何か」を宿しているのに、まだ気付かない、ある日のガッシュと清麿だった。









(2007/01/07)
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